第3回金時山オフ PART2
(1996.10.26〜10.27)
塔の峰から明星ヶ岳の登り口に至る一瞬のアスファルト道
ひと汗かいた後で、この頃が一番元気にあふれていた
塔の峰〜明星ヶ岳
そしてここから、我々を地獄へと突き落とした行程が待っているのであった。 塔の峰からだらだらとかなり長く下ってゆく。登山(ハイキング)の常だが降り た分の代償は必ず払わなければならない。しかも貰った以上にかなりの利子をつ けて払わされた。その利子 400メートル弱。登山とは金のかかる女の子と付き合 っているようだ、対価以上のものを求められる。Hayamiすら後悔させるこのコース、第一目標の明星ヶ岳に着いたときには全員 が生きた死体となっていたのだった。ぼくはまるで三段跳びの第一歩で足がもつ れて転んでしまった選手のようになった。このままでは第二目標の明神ヶ岳、さ らにその先の最終目標金時山へなどたどり着くことはできない。そして出発しよ うとしたときそれは突然やってきた。
さっきから腹が鳴ると思っていたが、こんなところでそれがくるとは思いもよ らなかった。簡単に言うとガス欠である。ガスがなければ車は走らない、身体も 同じ、エネルギーを使い果たすと急に動けなくなる。どんなにコンニャロと身体 を奮い立たせても動かないのだ。もっとエネルギーになるようなものを食べてお くのだった。そう後悔しつつ、バッグからおにぎりを一つ出すとそれをあっとい う間に飲み込んだ、水を少し飲むとだいぶ落ち着いた。偏狭的米崇拝者は米を食 べると少しはまともになるのであった。
明星ヶ岳〜明神ヶ岳
しかしみんなだいぶ無口になってきた。Exitは怒る、まともになる、どうしよ うもなくなるの状態を遷移して、やはり黙ってしまった。不幸はやはり怒涛のように襲ってくるのだ。燃料メーターが上がったと思えば、 足がつった。これは休み過ぎが原因だ。体が冷えてしまったのだ。しかし進まな ければならない、ゴールにはビールが待っている。
そういえばここに至るまでの景色がどうとか書かなかったが、ようはここの登 りでは周りの景色にあまり目をやる余裕などなかったのである。しかも天候は下 り坂、まだ雨は落ちてきてはいないが。
明星から明神ヶ岳へは最後の15分を除いて (ここがこの区間で一番登りがきつ い)、 なんとかおにぎり一つの力で登ることができた。おにぎりの力は偉大だ、 昔の人もこれだけで箱根山を越えていた。
明神ヶ岳に着くと改めて、残りのおにぎりを食べた。そして爆睡、ここで目盛 りの半分は体力が回復したのだ。これなら最後まで大丈夫だ。と、確信がないな がら、ムフフ顔をしながら夢の中でそう思ったのである。明神ヶ岳〜矢倉沢峠 (うぐいす茶屋)
ここから、最後の金時山までは第 1回目で通ったことがある。かって知ったる 何とかで意外に楽に行けるはずであった。しかし、人の記憶というものは当てに ならないということが死ぬほどわかったのである。この登りを上り切ればうぐい す茶屋だ、そんな事が何度も続いた。
やはり、記憶は当てにならない、ただし人のではなくて自分の記憶に訂正。記 憶が当てにならない、景色は良くない、さらにそこに追い討ちをかけるように雨 が降り始め、ひどくなるばかり、この怒涛のタイガージェットシンの凶器攻撃の ような体力を消耗させる事態に、とうとうリタイア者が出てしまった。 1回目は 一人だったが、200%増しのきつさの今回は、倍の二人、Exit と Kabaki. がうぐ いす茶屋を後に山を降りていった。
某2名は見られなかった景色